松阪ベルライン、さようなら! 津ベルライン、こんにちは!

津エアポートライン社長
小嶋光信

松阪航路は、今日で開業以来、丸10年を迎え、当初からのお約束を果たして運航を休止しました。津航路へ発展的に一本化できてホッとしています。

津エアポートラインは、平成17年の中部国際空港セントレアの開港に合わせて開業し、当時は中部国際空港の開業人気と愛知万博の開催で、一時的な大盛況でした。しかしこれを航路需要と勘違いされたのか三重県の海上アクセスは津エアポートラインの一航路で調整するという方針に反し、四日市市、松阪市と相次いで航路を開き、伊勢市も港の建設を始めるなど、地域間競争で潰し合いの様相を呈しました。

結局、この地域間競争は、我々の分析通り、四日市の航路も、松阪の航路も相次いで破綻し、伊勢市も港を作った段階で破綻して、大きな社会問題となり、最終的に津エアポートラインのみ生き残りました。

松阪航路の経緯は両備グループの代表メッセージ「松阪航路の休止と、津航路への一極化に関する件」をご覧ください。

松阪市から、航路破綻の後を引き継いで再建して欲しいというご依頼があり、また、破綻した航路業者からも、このままでは九州での事業まで連鎖倒産する懸念があるので、どうにか引き継いで欲しいとの申込みがありました。その救済のためにも、本年12月までのお約束で引き受けました。

その間、燃料の異常な高騰や、世界経済の問題などいろいろありましたので、引き継いで以降、本当に短くて長い7年間でしたが、お約束を果たせて安堵しています。

津エアポートラインは、三重県の中部国際空港への海上アクセスの開設と、公共交通の公設民営の実証実験として提案し、開発したもので、この成功が次の地域公共交通を守る布石になる重要な事項だっただけに、両航路を全うできたことは意義深かったと思っています。

これで、松阪航路を発展的に休止して、当初からの計画のように三重県から中部国際空港への海上アクセスは津航路に一本化し、12月20日より2便増便し、航路の愛称を「津ベルライン」とし運航します。

この愛称は、松阪ベルラインと津が一体になった証と、松阪市民の皆さんに、この10年間ご愛顧いただいた感謝の記念と、今後の積極的なご利用のお願いを込めたものです。

松阪航路のフィナーレは、何もせずに密かに終わるのでは、航路も可哀想なので、盛大なセレモニーを開こうと決意して、松阪市と共催で行ないました。

津市から公民館のオカリナを中心とするボランティアの皆さんが来て下さって、航路の幕引きらしく、「宇宙戦艦ヤマト」や「蛍の光」を演奏して下さり、無事に「松阪ベルライン」 から「津ベルライン」への引き継ぎができました。

これからは、お互いに地域間「競争」という「競って争う」から、「競って創造」する地域間「競創」として、三重県の海の玄関としての「津ベルライン」が、新たな利便性と快適性で地域の皆さまにご利用いただけ、大いに発展することができるように頑張ります。

tsuver

2016.12.19
津エアポートライン