備前焼の等身大「津田永忠」座像を設置!

岡山藩郡代津田永忠顕彰会 会長
小嶋光信

この2月3日に、当顕彰会が所有する備前焼の等身大「津田永忠」座像を、今春新築移転されたばかりの岡山市中消防署・水防センターへ設置・展示して頂けることになりました。

設置する座像は、2004年に備前焼作家・國延昇氏より寄贈された永忠さん等身大の陶像で、いずれ然るべき設置場所が見つかるまではと、曹源寺の原田正道ご住職のご厚意で長らく本堂・ご本尊脇にお預かり頂いていました。このお寺は津田永忠さんが池田綱政公に命ぜられ、差配して建築されたゆかりの寺ですから、津田永忠さんの座像も座りが良いと思ったからです。

尤も、津田永忠さんが「江戸時代元禄の前後に、池田光政公と綱政公の二君に仕え、岡山藩郡代を務めた郷土岡山が生んだ英傑で、豊かな岡山、教育県岡山の礎を築いた人」であることを知る人は少ないでしょう。

津田永忠は、世界で最も古い、現存する庶民の学校である閑谷学校をはじめ、農業をテーマにした日本三名園の大名庭園である後楽園や、吉備津彦神社や曹源寺などの近世日本でも有数の文化遺産を生み出したばかりでなく、豊かな岡山を築いた2500町歩もの大干拓や、世界で現存する2番目に古い吉井の閘門や世界で一番古い現存する波止場である元禄波止や治水事業等、数々の偉業を残しました。津田永忠配下の備前石工の技は、国宝や特別名勝など国、県、市の史跡指定をされており、農業と治水、土木の産業遺産として世界に誇れるものです。

また、その功績を実証する物としては、津田永忠の事績を讃える大きな石碑「津田永忠遺績碑」が後楽園内にあります。この遺績碑建立の一つの契機としては、明治18年8月の明治天皇の岡山行幸が大きく関わっています。碑文には、現代風に言い換えれば、「熊沢蕃山(伯継)の事績は広く知られているが、津田永忠の事績は知る人も少なく、永忠が2代に亘って藩主をよく補佐し、豊かな岡山の基礎となった約2500町歩の新田干拓や、教育県・岡山の礎となった藩学校や閑谷学校等の多大な業績を遺している」と記されています。明治18年8月の車駕西巡(明治天皇の行幸)時の御下問により改めて認識した池田公が顕彰の上、永忠の功業を讃えたもので、「此の土を宰る者、永く其の功を思へ」との一文で括られています。

この知る人の少ない英傑の胸像を、より多くの皆様にご覧頂ける場への設置・展示は、永忠さんの事績を顕彰する当会が予てより宿願とする事項でした。お陰様で岡山市消防局のご厚意で「岡山市中消防署・水防センター」に設置することができましたが、この地は旭川から東の地域防災拠点となる施設である上、奇しくも約320年前に永忠さん自らの指揮で築堤・整備した百間川が旭川から分流する地でもあります。

また、この陶像の台座は、岡山河川事務所のご厚意で、津田永忠さんの築造した百間川の樋門に使われていた石材を使って、石の芸術家の寺田武弘さんに製作していただいたものです。

関係各位のご尽力及びご配慮、ご協力により、永忠さんのご命日直前の2月3日に、永忠さん縁の地に建つ岡山城下町の防災を見守る施設へ設置、公開されることになったことを当会会員一同、心から嬉しく思っています。

感謝!