「労使強存強栄塾」開催!

両備グループ代表兼CEO
小嶋光信

両備グループが地方での交通運輸業を主体としていながら、これだけの企業グループへと成長できた大きな転機の一つは、両備バス労働組合が約50年前に過激な労働組合から同盟系組合に変わって労使共存共栄に転じたことで、現在の両備グループ発展の基礎を創った当時の松田基社長(故人)は、この類まれな両備の労使関係を「労使強存共栄」と名付けて、企業の宝として大事にしていました。

今の両備ホールディングスの母体の一つである両備運輸では、両備バスの運転者だった社員が仕事はできるが大酒呑みだったり、喧嘩っ早かったりで懲罰解雇された者を、気の毒だから両備運輸で引き取ってくれということで働いていたというケースも多かったのですが、実は、彼らはものすごく両備魂のある運転者さんたちで、強面の鬼軍曹タイプが多く、規律の足りなかった両備運輸の運転者の先頭に立って鍛え直してくれました。

私は彼らから、当時の両備バスの惨憺たる有様、春闘のたびに錦町の両備バス本社の屋根によじ登って陣取り、三等重役と役員の自宅の壁に落書きをしたり、赤旗とシュプレヒコールで仕事はそっちのけ…というお客様不在の労働運動で、競合各社にお客様を奪われていた状況を克明に聞いていました。こんな労働運動では両備は倒れると危機感を持った社員たちが全員投票で(これは定かではないですが)僅か2票の差で過激な組合を離脱して同盟組合となったことが、その後の両備の快進撃の発端になったと言えるのです。

2006年から両備グループで再生に取り組んでいる中国バスは、全国でも激しい労働運動をしていたことで有名ですが、最盛期は社員が3,000人もいた名門会社が、私が再生に入った時には僅か300人程度に萎んでしまっていました。忘れもしませんが、旧・中国バスの組合委員長は、「会社を本気で殴ったら倒れてしまうので、後ろ頭を支えて叩くのだ。」と豪語していました。結局、本当に会社は倒れて、給与や退職金という多くの労働者の権利を失ってしまったのです。
今回開催した、この労使塾の発端は、新生の井笠バスカンパニーの組合員の嘆きでした。

中国バスと同じように激しい労働運動をしていた井笠鉄道も3年前、突然の経営破綻発表とその後僅か19日での営業停止によって全国を震撼させた会社ですが、その再建を国と県や関係各市町から頼まれて、中国バスを主体に井笠バスカンパニーとして両備グループで取り組んでいます。旧・労働組合の嫌らしい再建妨害に両備労使で立ち向かって再生し、昨年3月末には素晴らしい美の浜バスターミナルも完成して、全員意欲に燃えて新会社として発足しました。

ところが、夏が過ぎた頃、両備グループ労働組合連合会の生藤会長から、井笠バスカンパニーの組合員の嘆きの一報が届きました。
整備が十分行き届いていない旧・井笠鉄道のバスを、キチンと再整備して配置していたのですが、それでも痛みが激しく、路上故障やフロントの片側がへたったバスで乗務社員たちが早く整備して欲しいと悲鳴を上げていると言うのです。両備型の労使関係では、毎日の点呼と毎月労使の懇談会をして問題点を把握して対策をしているはずが、それができておらず、また、その深刻な状態が整備を請け負っていた中国バスにも伝わっていなかったのです。そこで、生藤会長と井笠バスカンパニーに飛んで行って、組合主催でできるだけ多くの社員に集まってもらって、実態把握をしました。結果、両備グループをあげて整備担当者を集めて全バスの整備をし、勤務付などの労務管理の幹部を補強することにしました。

よく世の中で平和ボケと言いますが、労使関係が良すぎることが災いして、両備の宝である労使「強存共栄」思想が薄れかけていたのです。一部の幹部だけの労使交渉で、多くの幹部は組合との交渉や懇談に必要性を感じなくなっていて、失われた20年と言いますが、労使関係も希薄になっていたのだと痛感しました。

そして昨年末、対策実施後の井笠バスカンパニーを再び訪れると、そこには皆のやる気と笑顔が輝いていました。
皆の様子に安堵するとともに、両備の宝を取り戻そうと、この度、両備グループ労働組合連合会と共催で「両備労使強存強栄塾」を開催し、強く存在し「共に栄える」労使関係から、強く存在し「強く栄える」労使関係に向けてキックオフをすることにしました。

2日間の研修を通して、再び両備の労使関係に磨きをかけて、経営理念である「忠恕」と経営方針の一つである「社員の幸せ」を共に追求していこうと気持ちも新たに誓い合いました。

150202

両備グループ