おかでんミュージアム+水戸岡デザインがソフトオープン

岡山電気軌道社長
小嶋光信

待望の「おかでんミュージアム+水戸岡鋭治デザイン」のメイン施設が完成しソフトオープンしました。

東山の旧岡山電気軌道の本社屋を改装してのオープンです。

弊社の設立は1910年で、現在創業105年ですが、天神町にあった設立当初の本社屋が東山に本社移転された1924年(大正13年)に移築された歴史的建造物と言える建物です。この本社屋に付随して木造の車庫と整備工場がありますが、これらも本社と同時に建てられた全国でも珍しい木造の車庫と整備工場です。

この岡山電気軌道の路線が市内中心部から東山へ延伸して、この東山界隈は、大正14年 に偕楽園(遊園地)ができ、軌道電力の余剰分を使って出来た岡山倶楽部という活動写真館や東山温泉で大いに賑わったものです。

もともと東山には玉井宮があり、江戸時代備前岡山藩では城下で唯一この東山峠の玉井宮が、庶民の神社として賑やかに祭りをすることが認められていたところでした。

明治になり東山公園も整備され、あまり知られていませんが、岡山県で初めての噴水が造られた由緒ある公園で、猿や孔雀がいるなど子供たちや家族の一大歓楽地でした。今では想像のつかない賑やかな地域でした。

2002年、私と水戸岡さんの出会いになったLRTの「MOMO」が完成し、そのセレモニーの後、一緒にMOMOに乗って岡山駅に向かっている時、水戸岡さんが、「両備さんてケチなんですってね。でもまちづくりはペンキ一缶で出来るのです。一一缶なら買えるでしょう。」と言われたのです。ケチと本音を言われたら普通はムカッとくるでしょうが、私はハッとしました。30年来青年会議所や岡山経済同友会でやってきたまちづくり、そのために作ったLRTをご縁に水戸岡さんと一緒に岡山のまちづくりをしようと決心したのです。

それで「一缶ではなく、二缶くらいは買えますよ。」と答えて、まずペンキ二缶でこの向かいの現在の本社の車庫にある物置と信号機を市民団体のRACDA(現、公共の交通RACDA)のメンバーが中心になり一生懸命塗ってくれました。なんと本当にペンキ二缶で汚かった物置と信号機が蘇ったのです。以降、市内中心部の高層マンション・グレースタワーの建設から、今日の岡山まちづくりカンパニーへと続くのです。

そしてまさに地方消滅、地方創生が叫ばれる中、岡山の楽しいまちづくりとして創る一助になりたいと、纏まらない岡山ですが、せめて「走る交通ミュージアム」を水戸岡デザインで作っていこうと、電車、バス、タクシー、フェリーなどのデザインを水戸岡デザインで統一し、現在数百台が岡山市内を走り回っています。

スペインのガウディは個性あふれる建築物でまちづくりをしましたが、世界でただ一つの走る交通まちづくりの核としておかでんミュージアム+水戸岡鋭治デザインを作ったのです。

ここは岡山電気軌道と両備バスの交通結節点であり、外を見ていただけばまさに水戸岡デザインの電車、バス、タクシーが行き交っています。小さなミュージアムですが、実は岡山のまち全体が走る交通ミュージアムを実感いただける絶好地だと思います。

今回はそのソフトオープンです。完成図は水戸岡さんにご説明いただきますが、車庫と整備工場全体を見渡せる路面電車を中心にした鉄道記念館として生まれ変わります。

車庫の奥には電車を整備工場へ移動させる1904年GE製のトラバーサー (転線機)が現在も稼働しており、その職人技の電車の転線をご覧いただけると思います。その際は全体を「水戸岡鋭治+おかでん鉄道・交通ミュージアム」として世界でも珍しいミュージアムとして、正式開館します。今日はその一端をご覧いただき、乞うご期待です。

20150719

岡山電気軌道